ネタはなくとも、「平成最後の日」に投稿せずに「何がブログだw」という気もするので、投稿することにしました。
今年40歳になる私にとって、30年間の「平成の時代」は物心ついたころから現在までの人生のほぼすべてといっても過言ではありません。
私が「平成の始まり」について聞かれて思い出すのは、当時(小学生)の同級生の女の子が、「昭和天皇が長生きだったから、皇太子も若くないし、平成はすぐに終わる。」と熱弁をふるっていた光景でしょうか、、、
大正が15年までなので、その倍を超える31年は十分長いと思いますが、一方で明治が45年、昭和が64年まであることを考えると、平成はやや短めなのかもしれません。
社会全体としての平成を総括と令和への展望に関するネタは、ネットやテレビなどの鉄板なのでスルーさせてもらうことにして、FP資格試験制度の開始が1990年なので「平成=FPの時代」と勝手に決めつけて、FPの視点から平成と令和について書いてみたいと思います。
1:FPにとって平成とは
FPにとって平成とは「情報を得るのに苦労する時代から選ぶのに苦労する時代への過渡期」だと私は考えています。
私が小学生の頃(≒昭和)、情報を得る手段は、書籍、新聞、テレビ、ラジオ、近所のおばさんの会話などであり、得られる情報のほぼ全てが「発信された情報を見聞きした人の視点を通した二次的な情報」でした。
そのため、発信される一次的な情報に比べて「情報のゆがみ」や「不完全性」があり、それが「情報格差」として「情報を得られる人(エリート?)」を作り出していました。
平成の時代になり、通信技術が進歩し、今や一次的な情報は誰でも見ることができるようになりましたが、一次的な情報は二次的な情報に比べると情報の無駄が多く(国会答弁の中継と国会答弁に関するニュースの差をイメージしてもらえると分かりやすいかもしれません。)、大量にある情報から如何にして有益な情報を引き出せるかが重要になりました。
「整理されていない大量の情報は、情報が全くないのとほぼ同じ。」ということですが、そのような情報氾濫の中で「情報の取捨選択し有益な情報を提供してくれる人(いわゆるコンサルタント)」が出てきました。そのような中で、FPは「個人のお金に関するコンサルタント」として、存在感を示していくようになりました。
そういう意味では、FPにとって平成とは「FPの需要が生まれた時代」と言えるかもしれません。
2:FPにとって令和とは
正直未来予想になるので、全くあてにならない戯言に過ぎませんが、FPにとって令和とは「AI」の存在が多大な影響を与える時代になるのではないかと思っています。
馬が自動車にとってかわられたように、AI技術の進歩によりコンサルタント(人)がAIにとって代わられる可能性は多分にあります。
一方で将棋や囲碁の棋士がAIに負けたことで「将棋や囲碁のスポーツ化」したことや、電子メールが普及しているにもかかわらず重要書類は郵送で送られる現状などから考えると、AIが普及してもなお、頭脳労働としてのコンサルタント(人)は残るのではないかとも考えられます。
とあるSF作品で言及していた「労働者がロボットを駆使して効率よく働く」と言った感じで「FPがAIを駆使して効率よくコンサルタントをする。」ようになることを個人的には期待しています。(できればAIに顧客を連れてきてもらいたい、、、)
3:最後に
長々と書こうとすると、文章を考えるのに時間がかかりすぎて「平成」から「令和」に変わってしまい、ブログの根本から作りに直しになるので、今回はこの辺で〆させていただきます。
ネタ切れで更新も途絶えがちですが、これからもよろしくお願いします。
追記:職場で年号の予想をした際に「明治M、大正T、昭和S、平成Hなので、頭は「あ行・か行・な行・や行・ら行」のどれかになるはず。」と言ったのですが、令和(ら行)なので、一応は当たりました。(えw)